会長 朝守 令彦
捜査機関は、被疑者を代用刑事施設に留置し、弁護人の立ち会いなく孤立させて、長時間取調べる。被疑者は自分の言い分を聞いてもらえないことに絶望し、やってもいないことを「私がやりました。」と自白する。このような虚偽自白が重要・唯一の証拠であるかのように扱われた結果、えん罪が後をたたない。
2010(平成22)年3月26日、いわゆる足利事件の菅家さんに対し、無罪判決が言い渡された。これを受けた最高検察庁と警察庁は、捜査過程の検証結果と今後の防止策を表明した。その中で、両庁は、自白偏重の捜査手法を自己批判どころか、菅家さんの「強く言われるとなかなか反論できない性格」ゆえに虚偽自白がなされた特殊な事件であったかのように位置づけ、今後は取調べの「相手方の特性に応じた取調べ方法」を用いれば虚偽自白が防げると主張する。
しかし、足利事件のみならず、他のえん罪事件においても共通することは、被疑者は、自分の言い分を聞いてもらえないことに疲れて、やってもいない罪を認め、再び詰問されるのを恐れて、想像で犯行を供述するのである。えん罪は、被疑者の性格に関わる問題ではない。誰でもえん罪の被害者になりうる、取調べシステムの問題である。
捜査機関は、取調べの全過程を録画すると自白が得られにくくなり、真相解明が不可能になるというが、自白がなくとも客観的証拠によれば真相解明ができるし、そうしなければならないのが刑事裁判の大原則である。取調べを録画したら自白が得られないなどと主張すること自体、密室で「見られたら困る」取調べをしていることの証左である。現在既に実施されている被疑者が自白した後の一部録画では、自白に至る過程が適正であったかを検証する術がなく、虚偽自白を塗り固めるばかりで、えん罪を助長することになる。
えん罪は、国家による究極の人権侵害である。裁判員を含む一般国民の多くは、「捜査機関が違法な取調べをするはずがない。被疑者は、自分がやってもいないことをやったと言うはずがない。」と考えがちである。取調べの全過程の可視化こそが、違法な取調べの防止に最良かつ簡潔明瞭な手段なのである。
本会は、内閣及び国会に対し、直ちに取調べの全面可視化に関する諸法令を制定し、完全実施することを求める。